1998年2月10日、長野五輪の日に生まれた息子と、私が下した「ある決断」

皆さんおはようございます。今から28年前の今日「1998年2月10日」 日本中が長野オリンピックの熱狂に包まれていたあの日、我が家に新しい命が誕生しました。

息子の産声を聞いた瞬間のあの震えるような感動は、今でも昨日のことのように思い出せます。

新しい命を腕に抱いた時、私の中に湧き上がったのは「何があってもこの子を守り抜く」という、命がけの決意でした。

その決意を形にするために動いたのがマイホームの取得です。

70坪を解約し、駅近の中古住宅を選んだ理由

当初は、駅から少し離れた70坪の土地を確保し、注文住宅を建てる予定でした。 しかし、私はその契約を手付金放棄により白紙に戻しました。そして選んだのは、駅近の中古住宅です。

なぜ、ピカピカの新築一戸建てを諦めたのか。 それは、家を単なる「消費」ではなく、家族を守るための**「資産」**として捉えたからです。

「新しさ」は消えるが、「立地」は裏切らない

私がこだわったのは、以下の3点でした。

  1. 目減りしない価値: 建物は建てた瞬間から価値が下がりますが、需要の高いエリアの土地値は大きく崩れない。

  2. 流動性の確保: 万が一の時、すぐに現金化できる、あるいは貸し出せる場所であること。

  3. 教育と利便性: 息子の成長を考え、都心への交通の要所である「一等地」を選ぶこと。

「せっかく建てるなら新しい家がいい」という誘惑はもちろんありました。しかし、28年経った今、周辺の地価上昇や利便性の向上を目の当たりにし、あの時の自分の判断が「大正解」だったと確信しています。

新しい箱にお金をかけるのではなく、「価値が落ちにくい場所」に投資したことで、結果として家族に大きな安心をプレゼントすることができたのです。


28年目の2月10日に思うこと

あれから28年。

あの日生まれた息子も、立派な大人になり、もう自分でも住宅を購入出来る歳になりました。

当時は「命がけで働く」と肩に力が入っていましたが、この家がもたらしてくれた安定感があったからこそ、今日まで走り続けてこれたのかもしれません。

注文住宅のような派手さはないけれど、時を重ねるごとに愛着が増していく我が家。 息子の成長と共に歩んできたこの家。

あの日、病院のテレビで流れていた長野オリンピックの映像を、ミラノコルティナにオリンピックに重ね合わせ、今日はお祝いの酒を楽しみたいと思います。

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